自分に気づく、周りに気づく、世界に気づく。

カンボジアで5ヶ月インターンして明治大学を中退して、アメリカの大学に入っているちょっと横道それた感じの人のブログ。

先生の気持ち。

お疲れ様です!
今日は「先生の気持ち。」について書きます!

これを読んでる皆さんは「先生」って聞くと何を思い浮かべますかね・・・
私は、じぶんの隣に腰掛けて、笑いかけてくれる大人の人を想像します。

今、皆さんご存知の通り、私はSCAOで英語教師をしています

クラスの名前は
エレメンタリーと"プレインターミディエイト"

エレメンタリーの子供達は、大体会話ができますが難しいことばがわからない、中学生くらいの子供達がやってきます

プレインターミディエイドの子供達は、会話もできて、ペラペラと話せるレベル。大体、高校生から大学生の子供達がきます


正直、教えるのはすんごく難しいです笑)
エレメンタリーの子供達はいつもすごくうるさくてw、元気がありあまりすぎて、いつもどうやったら静かにしてもらえるか考えながら、過ごしています



プレインターミディエイトの子供達は英語力が高すぎて、おしゃべりがとまりません笑)
でも、だからこそ一緒に学んでる気がして楽しいんです!

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(プレインターミディエイトの子どもたち)

最近、先生をして感じることは

「ああ、じぶんが生徒だった時先生はこう思ってたんだなあ」
ということと
「子供のことを本気で思える先生はやっぱり素敵だ」

ってことです

授業の準備をするときは、どこに目的とゴールおいてどう進めていくとか、このとき自分の思った通りの回答が来なかった場合どうすればいいんだろう、とか

「この子はまだまだ英語力が低いからこのクラスでどう接していこうか」

とか

「どうやったら子供達にルールを守ってもらえるか」

とかどうやったらできるんだろうてことを考えています
でも、毎日エバしても、子供の行動は読みきれないところがあって、失敗することがたくさんあります

エレメンタリーのクラスはうるさすぎるからルールを取り入れようとしましたがうまく浸透せず・・・
それを知って、ああ、先生ってやっぱり大変なんだな、って思って、じぶんも生徒の時、こんな感じの生徒だったんだろうなあと思って反省。しつつ感謝もしてます笑)

私は、高校生の時、先生という存在にかなり憧れを抱いていました。小さい頃から愛に飢えていたせいか、大人に甘えることばかりしていて、先生にも話しかけまくって、かなりのかまってちゃんだったと思います
でも、先生は話を聞いてくれて、「なんで?」と問いかけてくれる

それが本当に嬉しかったことを今でも覚えています
もしあの「なんで?」がなかったら自分は道を踏み外していたんじゃないか、って思うからです
毎日寂しくてあの図書館の隅っこで愛を叫んでいた自分

本当に幼かった。
でも、生きているんだ、って。
寂しいんだ、って。
かまってほしいって。

叫んでいた。
多分それが先生もわかってて、バレてて
だから話しかけてくれた。相談に乗ってくれた

私も子供の未来を助けてあげられるようなそんな先生になりたい。

先生と生徒ってたまたま出会っただけで、教科のことについて教えていればいいのかもしれないけれど、子供達が何か困っているのなら、助けてあげたいし、
その子の隣の席に座っていたい。

子供の席に座るってなんか些細なことだけど、すごく先生としての心の持ちようが変わります
同じ目線で座っただけで彼らの世界が見えるような気がして、もっと頑張らなきゃ、って思う
愛しているんだよ、ってことを伝えたい

私もいつか自分が先生にしてもらえて嬉しかったことを少しずつ自分の生徒に渡していけたらとっても嬉しいです

そうやってGiveの連鎖がはじまるように
私も子供にGiveをしてあげられる人間に。

おわり

PSインスタントみそ汁もってきてほんとによかった…

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