自分に気づく、周りに気づく、世界に気づく。

カンボジアで5ヶ月インターンして明治大学を中退して、アメリカの大学に入っているちょっと横道それた感じの人のブログ。

1年後。

カンボジアから帰国してちょうど1年。

3月29日。

 

早1年が経ちました。

 

ちょうど1年たったんだなあと思ったときに色々と考えたことがあったのでつらつらと書いてみようと思います。

 

この1年色々なことがありました。

 

大学を中退し、

カンボジアでさらに3ヶ月インターンシップを行い、

アメリカの大学に入り、

生徒会に入り、

起業家スクールに入り、

 

色んなことをしてきました。

 

その中で見えてきたもの、変わらないことは沢山あり、語りきれないほどだと思っています。

 

そんな自分が今、何を問題だと思って生きているのかということについて書いてみようと思います。

 

一言でいうと、この1年の中で見えてきたものは、

 

自分の心の問題でした。

 

小さい頃から精神が不安定だった自分は、激しく気分が下がったり、

死にたいと思ってしまうことが多く、

 

そんな自分がとても嫌いでした。

 

この背景には、家庭環境や今までの学校生活全てが関係しています。

 

自分を信じきることができないため、

常に自己肯定感が低いという状態です。

 

ただ、それと同時に自分を良く見せたい、他人には嫌われたくないという気持ちが衝突し、自分に嘘をつくことによって、毎日つらいなあと思って生きる。

 

ようなそんな感じでした。

 

そのため、

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1)自分の居場所、存在意義を求めた依存した生活を生きている

2)自分の中の軸が常にいない

3)人生って楽しいと心から思っていることがない

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という3点セットの人生で、正直生きていて楽しくない、つらい。

そんな感じでした。

 

ただ、この状況を打破したいとずっと考えていて、色々な転機が2月に訪れます。

 

君は嘘をついている

生きていて辛いでしょう

 

と人に言われたのがきっかけです。

 

誰かのために生きたいと思いながら、自分が辛いことが前提で誰かのために生きたいと思っている。

 

自己犠牲の上で成り立つのがタガタメなんだろう、という無意識な固定概念が壊れ、

本当は楽しく生きたいという「本当の自分」が涙した瞬間に出逢うことができました。

 

その後、色々な人との出会いがあり、

 

自分の中に2人の人間がいるのだと知ることができました。

 

自分の中で常に本当の気持ちを抱えている自分がいて、ここでは「こころ」と呼ぶことにします。

 

その「こころ」は自分の中で常に「おーい」と叫んでいるのに表面の自分が「こころ」を無視しているような感覚をつかむことができました。

 

「本当は変わりたい」と強く願っているのにもかかわらず、それを無視し続ける行為は「こころ」にとってとても失礼だと思いました。

 

そのため、私はまずこの1年間でもう1人の「こころ」という存在に気づけたのが1つの成果です。

 

もう1つは、「変わりたくない」と思っている自分の存在。

私は、こうして「変わる」時がやってきたときに自分では、これは手放したくないんじゃない?

 

と思っていたものが実は「どうしても手放したくないもの」でもあると知ることができました。

 

自分の中にある「暗い部分」暗く影がさしたその部分を私は手放したくない、と考えている。

 

ここはもしかしたら、将来変わってくるのかな、とも思ったりしますが、

今のこの現状を受けて、「ああ、自分のありのまま」ってこんな感じかとちょっと思えています。

 

私は、自分の明るい部分、暗い部分、両方手放したくないんだ、実はと気付くことで、そしたらもうそれ受け入れるしかないやん、的な結末に陥ったといったら良いのかなと思います。

 

だから、ありのままの自分を受け入れる感覚の断片を手に入れた、というのが2つ目でした。

 

この2つはかなり微々たるものですが、今日はこれくらいにしようと思います、疲れたので。